年齢

 私は現在48歳。中途で入社した会社に9年ほど勤めている。現在は所長という役職。
28年前、専門学校を卒業後に入った企業は、出版業界でも最大手の取次店。同期は200名。7割位は大卒男子。残りが短卒女子と高卒。専門学校卒業は私ともう一人だけ。
10年程勤務したが、社内政治と学歴が左右するキャリア構造の中でいくら仕事をバリバリにやってもキャリアアップが見込めないと判断し、退社した。


 出版不況の波が俄かに聞こえてきた90年代後半。会社は45歳以上を対象に早期退社を募りだす。まだ若かった大卒同期達はそれを気に活躍の場を与えられる。
出世競争に乗るもの、そこから脱線するもの・・・それぞれ。
私の様に別の世界に行こうとする人間は少なかった。「安定」「企業のネームバリューからくる誇り」・・・。人それぞれの決断で会社に残るものが多数を占めた。
 毎年一回は仲の良かった同期と集まり、呑んでは昔話に花を咲かせた。それぞれ会社での立場には差が生まれていたが、部外者となった私の存在が良いクッションとなり、「昔の悪友」のノリで楽しい時間を過ごした。


 それから20年近い時が過ぎ、大半の同期は50歳~50代前半。
出版業界は不況から完全な斜陽産業となり、業界規模は全盛期の半分程に落ち込んだ。
仲の良かった同期のウチ、出世頭だった2名はこの春の人事で左遷が決まった。
一人は役職を解かれた。しかも単身赴任先で支店付けの平社員となった。
もう一人は別会社に出向。しかも関西にある別会社の流通センター。
彼も単身赴任となる。
彼に時間を作って呑み行こうと誘ったが、返事が来なかった。
彼の受けたショックは私の想像しうるものではない。
自分ではまだまだ先を見据えていた筈なのに、会社からは「もう君は終わりだよ」
と言われたのだから。


 若い人に比べて社員数が多い事もあり、人員削減するならソコにメスが入るであろう事は、客観的に考えれば理解する。しかし、それが親友の身に降りかかった時、憤りと人生の虚しさを感じずには居られない。
 企業が傾けば人を削る。それは未来の無い給料の高い年輩層。
生活が苦しくなれば老人は、家族の邪魔者。。。資本主義の原則。


私は中小零細企業に居る。彼らより少ない給料で、彼らより肉体的にも厳しい仕事をしてきた。しかし、中小企業はそこまで非情な事はしない。
会社が傾けば直ぐに倒産となるリスクはある。
経営者の判断で大きく揺れるし、お金を稼ぐのは大変である。
そして彼ら程、耐えがたきを堪える事もない。自分の意思で動ける事も何倍も有る。


どちらが良いかは解らない。言えるのは私も彼らと同様、会社という組織に身を委ねているという事実。


私も50を手前に生き方を考える時が来たのだと感じる。


しかしながら、私には中学生の子供が居る。まだ30代半ばの妻がいる。痴呆の母が居る。孫を産もうとしてる娘が居る。犬も居る。。
お金は稼ぎ続けなくてはならない。大切な者達の為に。
そして出来るだけ、自分の運命を自分で決めて生きていきたい。死ぬまで生きる為に。